※漫画「勇者名探偵」収録
「セント・ウェスト教区殺『竜』事件」の後日譚です。
「縄跳びを五千回ですか!?」
儀式用に拓かれた広場の隅で人間の子供が大声を上げた。
直後、自分の声の大きさが場に相応しくないと考えたのか、彼は申し訳なさそうに周囲を見渡した。子供は被っていた帽子を少し下げる動作をして、誰に対するでもなく非礼を詫びた。
この広場ではしばらくのちに葬儀が行われることになっている。私の兄である水竜・フロートアズールの葬儀だ。
私たちは竜族。人間の里、蘭敦より少し離れた場所、竜の里で暮らすドラゴンの一族だ。
竜の里は全てのドラゴンの出身地である。私と兄はもちろん、各地に散らばる同族全ての故郷だ。が、ここは竜の里ではない。かといって人間の土地でもない。
広大な草原に造られた広場は、兄の信仰していた古の宗教の聖地。一見、岩肌の露出した窪地にしか見えないその小さな領地では、人間、エルフ、竜族、その他様々な種族たちが、各々の想いを抱えて儀式の始まりを待っていた。
私の抱えていた想いはと言うと、さて、いささかこの場に不敬ではあるが、退屈の二文字であった。遅れるよりは良いと早めに現地入りしたはいいが、早めに来すぎるというありがちな誤算で時間を持て余す羽目になったのだ。
ゆえに私はその小さい人間に興味を惹かれた。私に暇つぶしの対象として目をつけられた子供は、同種族の成体と引き続き言葉を交わししていた。
人間は雌雄が二種類である我々と違い、雌と雄の間に多くの階調と拡張性が存在する。しかし人間についての造詣が深くない私にとって、彼らの性を見た目で判別するのは難しい。成人の個体は見た目はメスに見えた。ひとまずは竜族の基準で『彼女』と呼ばせていただこう。彼女は子供の質問に答えた。
「そうだ。正式な手法では縄跳びを五千回だ。葬儀の手順というのは文化ごとに異なるものだが、ここではそうなっている」
「でもあの警部、無理ですよ。縄跳び五千回は……」
「話を聞きたまえよ。正式な手法と言っただろう。
公式には五千回らしいが、最近はそこまでの体力の無い種族が信者になることも多いからな。
五回でいいらしい」
「五回……五回? 千分の一じゃないですか。す、すごい配慮ですね……」
「まあ……厳しすぎる教義を守れる者はそう多くないということさ」
どうやら人間たちは今回の儀式の段取りを打ち合わせているらしい。私の兄の葬儀の手順を。
ならば、と私は歩み寄り、思念で直接語りかける。
「人の子たち、何かお困りでしょうか」
「ああ……竜族の方。わざわざありがとうございます。
私はレジーナと申します。人の街で警察に勤めております」
成人女性の個体が歩み出て応対する。感じの良い人間だと、私は好意的な第一印象を抱いた。
「教徒の方ですか? こちらの、ええと、『トロッポ・ボボン教』の」
「いいえ。私は水竜フロートアズールの弟です。氷竜ミレニアムフローズンと申します」
「なんと……この度はご愁傷様でした……」
彼女は沈んだ声と、沈痛な面持ち(ではないのかもしれない、人間の表情は読み取りづらい)で、胸に手を添えた。
私は少し吹き出しそうになってしまった。
おそらく、彼女の属する信教と、トロッポ・ボボン教との作法を混同しているのだろう。多種族が交わるとこういう行き違いは良くある。
私は彼女の誤りを、嫌みにならない程度に笑って、訂正することとした。
「ははは! そんな顔をしないでください。今日はトロッポ・ボボン教の葬儀ですよ? もっとワクワクの、ドキドキでいきましょう」
「わ、ワクワクの、ドキドキですか」
今度は子供が口を開く。
「ああ、彼はアーディカイト君です。
水竜さんの……知り合いで。ボボン教の葬儀は初めてでして」
「なるほどなるほど。それはお困りでしょうな。坊や、であってるかな?」
「はい。あ、あの。お、お葬式なのにいいんですか?」
「ボボン教は君たちの国教とは違うよ。楽しむといい。そんなに悲しそうにすることはないんだ」
「う、ううん……俺は素で悲しいんだけど……」
「他に何かわからないことはあるかい?」
「そうですね。実はわからないことだらけで困っています……」
子供は正直に答えた。どんな種族も幼体はかわいいものだ。私は優しい声色を作った。
「何、気にすることはない。君は幼体だし、人間のボボン教信者は滅多にいないからね。わからないのも無理はないよ。
とはいえまあ、竜族でも数えるほどしかいないのだが」
兄は、竜族の伝統的な信仰に準じたままだと人の街での就労ビザが降りにくいということで、遠縁の親戚の属するボボン教へとあっさり宗派替えしたのだった。
「あの……お葬式の時に縄跳びをするんですよね? そこまでは警部に聞いたのですが……」
「うん、うん。よくわかってるじゃないか」
「縄跳びを……どこでどうするんですか?」
「そんなに難しくはないよ。
ほら、あそこに指導者がいるだろう? あの後天性キノコ人間の……そうそう、彼だ。
彼が儀式の歌を歌い終わったタイミングで、補佐官がボボーヌと呼ばれる紐をそれぞれに一本ずつ配ってくれる」
「ボボーヌ」
「ボボーヌが全員に行き渡ったところで、左前の参列者から順番に五回ずつ跳ぶんだ」
説明を披露しながら回りを見渡せば、なかなかに人間の参列者が多い。
気が早い者はもう並び始めている。二十、いや三十人は超えているだろうか。
子供は質問を続ける。
「ただ跳ぶだけでいいんですか?」
「それではワクワクしないだろう」
「わ、ワクワク……かあ」
「一回跳ぶごとに、亡くなった者のいいところを一つずつ叫ぶんだよ」
「え……っと」
「ぴょん、球技が上手! ぴょん、笑顔が素敵! ……とまあ、こんな感じにね」
「わ、わかりました! とにかく、無理にでも明るくしてないといけないんだな、む、難しいな……
教えてくれてありがとうございます。あの、他には……」
他の作法をいくつか教える。
その度に子供はありがとうございます、ありがとうございます、と繰り返した。人間の習性なのだろう。
儀式の話が終わったあとも、人間たちとしばらく歓談を続けた。二人には岩肌に生える固い茸に座るよう勧めた。
重みがかかると旨味が凝縮されて味が良くなるのだ。この茸はあとで料理として振る舞われる。
人間達は自分たちの文化と共に、兄の話も聞かせてくれた。人の街で働くことを選んだ兄が『ハクブツカン』という組合に所属していたのは知っていたが、その仕事の内容は驚くほど繊細なものだった。
ボボーヌを跳びながら叫ぶ兄の長所が、両手の爪で足らぬほど増えてしまった。
そうこうしているうちに兄の葬儀が始まった。
真昼間の葬儀。
晴天の太陽は万物に降り注ぐ。この広場にも溢れんばかりの光がもたらされていた。
天を仰ぎ大きく口を開いたボボン教の指導者は、力強い声で神秘の歌を響かせていた。たくましい茸を頭の頂点に携えたその指導者の口の中にも、等しくあたたかな陽光が注がれている。
やがて縄跳びの時が来る。瞳に惜別の情を浮かべた人間達が、順番に飛び跳ね、私の兄をリズミカルに褒め称えた。
「人間に優しかった!」
『ハクブツカン』の仲間と見られる成人が、思い詰めた調子で叫んだ。
「瞳が綺麗でしたぁ……」
これも同じく『ハクブツカン』の仲間。
「種族の壁を超えた愛があった!」
「本の持ち方が上手!」
次々にボボーヌが跳ばれる。次はあの子供の番だ。
「仕事熱心な竜さんでした」
けなげに、しかししっかりと儀式を遂行しようとしている。たいしたものだ。
兄への賛辞は続く。作業が細やか。人付き合いが良い。話し上手。交流好き。などなど。褒め言葉なのか迷うものもあったが、兄は人間に愛されていた。
人間達から人気があり、人と竜の親交に誠実に取り組む兄の生き方が、彼らの評価から見て取れた。
ということは。
兄は失敗したのだ。
私は竜の里での出来事を、兄との会話の内容を思い出した。
「私はね、氷竜。
人間達の生活を内側から崩してやろうと思うんですよ」
兄は、里で休憩場所として使われている静かな洞窟で、こっそりとその話を私に打ち明けた。
松明の明かりが精悍な兄の顔を照らし、水に濡れたように見える表皮があやしくきらめいていた。兄の片手には骨の器になみなみと蒸留酒が注がれていた。
私は正直言うと、話の内容にはあまり関心が無かったが、里のしきたりでは年長者の言葉を重んじることになっている。
里のしきたりは大切だ。私は興味を示すフリをした。
「ほう、それはそれは。さすが兄者ですな」
「ええ、あなたならそう言ってくれると思っていましたよ」
「それで……兄者はなにか、人間に恨みでも?」
「まさか! あんな小物どもに恨みなど。
少しお灸を据えてやりたいだけですよ。上位の種族として、数が多いと言うだけで調子に乗っている、バカな一種族にね」
「しかし人間が調子に乗れるのは人間の里の中だけでしょうよ」
「それがあの集合ども、最近は和平だなんだって、積極的に異種族と交流しようとしているのですよ! ね? 分不相応にも程があるでしょう……
我々の強さに怯えて街で暮らしていればいいものを」
兄は酒をあおった。
「だからですね。私が『親人間派』を名乗って、人間の街に潜入するんですよ」
「はあ、わざわざ嫌いなヤツらの街で暮らすんですか」
「まあまあ、そう長くは暮らしませんよ。
それで体良く、例えば王宮とか、街の主要な機関に近付けたらですね。こう、一気にドカーンと。街をめちゃくちゃにしてやるんです。そうしたら人間も少しは反省をして、粛々と暮らす道を選ぶでしょう」
私は気のない返事をした。
昔から兄には子供っぽいところがあるが、こうも荒唐無稽な御伽話のような計画を夢想できるものか。
人間は一般の個体の他に、伝説の勇者とかいう突然変異種もいるはずだ。あの、魔王を倒して永き戦争を終わらせた、何だかよくわからないけどすごく強い存在が。
到底兄が単身で実行できる計画とは思えない。しかし兄は続けた。
「長老はもう駄目です。呆けている。和平の道を探すなどのたまい始めた。はあ、あんなに勇敢な戦士だったのに……竜は変わるものですね。
火竜なんてのは、どうやら根っからの人間好きみたいで、あんな変わり者は取り返しがつかないんでもう見捨てるしかないと思いますが。
とにかく私がやるしかない。竜族の為に私がやるしかないんです。この集落で私だけがまともなんだ」
「ふむ……」
私は思い直した。
酒が入って勢いづいてはいるが、兄は彼なりに真剣なのだ。兄は人間が繁栄することで竜族全体の誇りが傷つけられていると思っている。
私としては、種族としての力の弱さを繁殖力と外交力で補う人間の生態は、彼らなりの適応の成果のように思う。だが実態がどうであれ、愛里心に溢れる身としては竜社会が脅かされるのは辛いのだろう。
例え破綻の見える計画でも、その気持ちが昇華されるのならば、兄を止める道理はあるまい。被害に遭う人間の個体がかわいそうに思うが、種としてはまた増やせばよい。人間は我々と違って早いペースで増える。
それに、勇者が味方についているならそこまで大きな被害は出ないだろう。
「応援しますよ」
私はそれだけ言った。下戸なので酒は飲まなかった。
そして兄は帰って来なかった。その事情は込み入った事件というか何というか、私の想像したものとはかなり違う結末だった。ともあれ、兄は失敗し、凄惨な殺『竜』事件の被害者となってしまったのだ。
人間達がボボーヌを跳び終えた。続いて古くからの知り合いが続く。『積極的』『元気』『好戦的』という評価の数々を意外に思う人間もいるようだった。
それでも人間達の街では、『仕事に真面目で、みんなに優しい水竜さん』として、兄の姿は伝わっていくのだろう。
それでいいのだろうか? 兄を想うなら、弟として少しくらいは兄の本心を代弁してみるのも、ひとつの道かもしれない。
だが、この儀式は兄のためにあるのではない。
これはトロッポ・ボボン教の葬儀だ。
反論する術のない者をあることないこと好きなように褒めて、参列者がなんとなく良い気分になるための儀式なのだ。
私は伝統に従うことにした。いや、そうではない。私だって兄のおかげで良い気分になりたかった。世間から見ればつまらない男だが、私は兄のことが好きなのだ。
私は思うままに兄の良いところを述べた。
「私に優しい兄だった」
ドシン、と地面が揺れた。幸か不幸か、人間には受けが良かった。
おわり
次回更新は来週8月7日(金)予定
コミックス収録「吸血鬼館の殺人」の前日譚です。